ブランキージェットシティがダサい?嫌い?その理由を考察

ブランキージェットシティはダサい?

今回は、いつもとは少し違った視点でブランキージェットシティについて語ってみたいと思います。

というのも、「ブランキージェットシティ ダサい」「ブランキー 嫌い」といった検索ワードが存在することを知ったからです。

正直、最初は驚きました。
でも思い返してみれば、私自身、初めてブランキーを聴いたときに少し「なんだこのバンド?」「ちょっと苦手かも?」と思った記憶もあります。

そんな経験もあり、「なぜそんな意見が出てくるのか?」を、改めてブログに書いてみたくなりました。

ちなみに、今ではブランキージェットシティは私にとって日本で1、2を争うほど大好きなバンドです。

ギターボーカルの浅井健一、ベースの照井利幸、ドラムの中村達也。
この3人が織りなす独特の世界観は、今も私の音楽観に大きな影響を与えています。

目次

ブランキーの歌詞はダサい?

「赤いタンバリン」については、歌詞の比喩がどうこうといった解釈を見かけますが、正直なところ私はあまりそういうことは考えずに聴いていました。

※ちなみにこの曲は、ベンジー(浅井健一)が“生まれてきた子どもの心臓”を“赤いタンバリン”に例えて作ったと言われています。

とにかく名曲なので、難しく考えずにまずはそのまま聴いてみてほしいです。

赤いタンバリンをストリーミングで聴く

とはいえ、私自身ブランキーの他の楽曲の中には、少し苦手だなと感じる歌詞もあったので、そのあたりについても触れておこうと思います。

Harlem Jetsに収録されたCOME ONの歌詞

ラストアルバム『Harlem Jets』の最後を飾る「COME ON」。初めて聴いたとき、「これは今までのブランキーとはまるで違う」と感じたのを覚えています。

ヤンキー気質で尖った歌詞が多かった浅井健一が、この曲では「正義がしたいこの街のため」と歌い、
「come on 心を開き
come on ここにおいでよ
come on 夢じゃないのさ」
というフレーズを紡ぎます。

正直、当時は「ちょっとクサいかも…」と思ったのも事実です。
でもこれは、10年間を駆け抜けたブランキーが解散を前にして届けた、メッセージでもあるんですよね。

今でも聴くと、心にじんわり響いてくるものがあります。

COME ONをストリーミングで聴く

歌詞には、「パープルジェリー」に登場したジェリーや、かつて下北沢で震えていた猿のことなど、これまでの曲の世界観が織り込まれています。
「あの猿はきっと天国」なんて一節にも、彼らなりの優しさや救いが感じられます。

そして極めつけはこの一節。

「いつか君がいなくなっても
いつかぼくが灰になっても
怖がることは何ひとつない
ぼくたちは多分つながっている
怖がることは何ひとつない
ぼくたちは多分つながっている
だって答えはどこにもないよ
感じてることそれがすべてさ」

解散しても、ブランキーとファンはきっとどこかでつながっている。
そんな思いが込められている気がして、今でもこの曲を聴くたびに胸が熱くなります。

僕はヤンキーの歌詞

「パパママ僕はヤンキー 口じゃとても言えないくらいの
パパママ僕はヤンキー さらさら流れる小川みたいさ」

この歌詞を初めて聴いたとき、「なんて変わった表現なんだろう」と思った記憶があります。ブランキーらしい独特の言葉選びですが、当時から少し違和感を覚えたのも事実です。

ただ、このあたりの歌詞には“ヤンキー文化”や“90年代の空気感”が色濃く反映されていると思います。
この曲がリリースされたのはおよそ24〜26年前。つまり、歌詞が生まれた背景には、今とは全く違う価値観や文化があったということなんです。

※浅井健一さんらが中学高校のときは不良文化がものすごかったですから、ビー・バップ・ハイスクールの世界観?

もう時代が変わってしまったのもあります。

だからこの辺は30代に書かれた浅井健一さんの歌詞と90年代の歌詞ということを考慮してほしいなと思います。

僕はヤンキーをストリーミングで聴く

成熟した歌詞は直近の浅井健一さんの歌詞に現れており、Sherbetsなどの曲を聴くとよいと思います。

下記はブランキー解散後に浅井健一さんがしていたバンドの数々です。

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ブランキーとは違う歌詞や世界観、より洗練された音楽性などを発揮しています。

浅井健一(ベンジー)の歌い方やメロディが苦手だった時期もあった

ブランキー・ジェット・シティを最初聞いたとき、正直なところ「とっつきにくいな」と感じた一番の理由は、ボーカル・浅井健一さん(通称ベンジー)の独特な歌声でした。

今ではその唯一無二の声が大好きなのですが、初めて聴いたときは、高くて細いその声に戸惑い、少し距離を感じてしまったんです。

曲自体はかっこいいのに、ボーカルのクセが強すぎて、「好きになりきれない…」と思っていた時期もありました。

浅井健一さんは、良くも悪くも“媚びない”音楽を貫いているミュージシャン。キャッチーなメロディや安定した音程をわざと避けるようなところがあって、たとえば『Harlem Jets』に収録されている「リス」なんかは、当時の自分にはかなり苦手な曲でした。

あえて音程を外すような、不協和音にも聴こえる歌い方や表現に、「これ、音程ズレてない?」と思ったこともありました。
でも、今思えばそれこそがベンジーの“スタイル”であり、“芸術性”だったのかもしれません。

 

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ブランキーの初期はダサい?昔の姿に感じたこと

ブランキー・ジェット・シティを初めて知ったのは「赤いタンバリン」や「ロメオの心臓」あたり。あの頃の彼らは洗練されていて、とにかくかっこよかった記憶があります。

でも、デビュー前に「イカすバンド天国(イカ天)」に出演していた映像を見ると、正直なところ、服装や髪型に時代を感じました。

浅井健一さんはリーゼントばっちり、照井利幸さんはバンダナ姿で、今の感覚からするとちょっと“垢抜けていない”印象もあったんですよね。

とはいえ、当時のバンドマンで、自己プロデュースまで完璧な人なんてほとんどいません。むしろ、そんなことよりも大事だったのは、彼らの“本気”。

本気で歌い、気合いの入った演奏をぶつける姿勢、そして圧倒的な楽曲の力。そのすべてが評価されて、イカ天キングにまで上り詰めたのです。

今見ると初期の見た目は多少“ダサさ”を感じるかもしれませんが、それすらも当時の空気を映す貴重な一コマだと思います。

ブランキーはクセがあってとっつきにくいけれど、ハマると中毒性があるぐらい最高のバンド

最初のとっつきにくさや、昔のバンドということもありますが、それを踏まえても全員演奏力のあるバンドで、浅井健一と照井利幸のメロディセンスは抜群に素晴らしいので機会があればぜひ聞いてほしいです。

ストリーミングで聴く

ブランキーはダサいまとめ

個人的にダサいかもと思ったブランキーの点をまとめました。

人によって好き嫌い、かっこいいダサいと思うものは違いそれぞれの感性でもあります。

ただ私はブランキーが好きなのでダサい点なんか遥かに超えてかっこいい点に魅了をされつづけています。

嫌いなばかり語るより好きなものについて語る方がみんな明るい気持ちになるのでとも思っています。

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この記事を書いた人

90年代ロック、2000年代ロックにハマりフェスが大好きです。名バンドの名曲を紹介します。

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