1990年代のUSロックを語るうえで欠かせないバンド、それが**NIRVANA(ニルヴァーナ)**です。
1987年、アメリカ・ワシントン州アバディーンで結成されたこのスリーピースバンドは、
カート・コバーン(Vo/Gt)、クリス・ノヴォセリック(Ba)、そして後に加入したデイブ・グロール(Dr)の3人によって世界的なブレイクを果たしました。
※結成当初はドラマーとしてチャド・チャニングらも在籍していました。
ニルヴァーナは、全世界で7500万枚以上のセールスを記録し、
当時の音楽シーンに「グランジロック」という新たな潮流を生み出した、まさに時代を変えたバンドです。
その影響は音楽にとどまらず、ファッションや若者文化、ライフスタイルにまで及び、
2014年にはロックの殿堂入りも果たしています。
日本でも、ブランキー・ジェット・シティの浅井健一、THE YELLOW MONKEYの吉井和哉、エレファントカシマシの宮本浩次、椎名林檎など、
多くのアーティストたちがニルヴァーナからの影響を公言しており、今もなおその存在感は色あせることがありません。
代表曲「Smells Like Teen Spirit」
そして、ニルヴァーナの代表曲といえばやはり──
「Smells Like Teen Spirit(スメルズ・ライク・ティーン・スピリット)」。
静と動が交錯するあのギターリフは、今や世界中の誰もが知るロック・アンセム。
しかしカート・コバーン自身は、あまりにもこの曲ばかり求められることに嫌気がさし、ライブではわざとテンポを速めたり、崩して演奏したこともあったとか。
ロックアイコンとしてのカート・コバーン
カート・コバーンは1994年、わずか27歳で自ら命を絶ちますが、
その死後もなお、彼の存在は**“ロックスターの象徴”**として語り継がれています。
ギタリストとしても、シンガーとしても、雑誌の「歴代ランキング」に必ず登場する存在。
ノイジーで不安定なのにどこか美しいギターリフ、
しゃがれた声でシャウトしながらも、高音で泣くように歌うボーカル。
そのすべてが、彼だけの音だったのです。
プライベートでも話題は尽きず、妻は元ストリッパーでロックシンガーのコートニー・ラブ。
当時は「現代のシド&ナンシー」と呼ばれ、椎名林檎がこの関係性を歌詞に織り込んだ楽曲も存在します。
そして伝説は続く
ニルヴァーナ解散後、ドラマーだったデイブ・グロールは自身のバンド**FOO FIGHTERS(フー・ファイターズ)**を結成。
今やこちらも世界的なロックバンドとして、堂々と音楽シーンに君臨しています。
このあと、ニルヴァーナのその他の名曲やアルバムを紹介していきます。
ちょうど『In Utero(イン・ユーテロ)』のリリースから30周年を迎え、記念CDも発売されています。
あらためて、ニルヴァーナの音に触れてみましょう。
ニルヴァーナの歴史──なぜグランジ・ロックは時代を変えたのか?
NIRVANA(ニルヴァーナ)は、1987年にアメリカ・ワシントン州アバディーンで結成されました。
1989年にはインディーズレーベルから**1stアルバム『Bleach(ブリーチ)』**をリリース。
そして1990年にメジャーデビューを果たします。
この流れを一変させ、ニルヴァーナを世界的バンドへと押し上げたのが、1991年に発表された2ndアルバム──
**『Nevermind(ネヴァーマインド)』**でした。
※直訳すると「気にすんな」です。なんとも彼ららしいタイトルですね。
そこからのシングルカットとなった**「Smells Like Teen Spirit」**は、あの轟音ギターリフと不穏な熱気に満ちたカート・コバーンの歌詞で、当時の若者の心を一瞬でつかみました。
この曲のヒットが、バンドを一躍スターダムへと導いたのです。
……もっとも、のちにその“成功”がカートを苦しめることになるのですが。
ニルヴァーナ登場以前のアメリカ音楽シーン
当時のUSチャートといえば、「マドンナ」「ボン・ジョヴィ」「ジャネット・ジャクソン」「マライア・キャリー」「ボーイズIIメン」など、
いわゆる“洗練されたポップス”や“産業ロック”が全盛でした。
一方で、ハードロックやヘアメタルといった派手なスタイルも長く続いており、音楽は豪華で華やかなものが主流。
そうした“商業的でキャッチーな音楽”に対して、異質な存在として現れたのが──
ニルヴァーナ、そしてレッド・ホット・チリ・ペッパーズなどのオルタナティブロック勢だったのです。
※もちろん、当時の音楽が悪いわけではありません。ただ、それに飽きた人たちの心にNIRVANAは刺さった、という話です。
カート・コバーンの美学が生んだ“グランジ”の衝撃
ニルヴァーナの音楽スタイルは、パンクロックとヘヴィメタルを融合し、インディーロックの空気感を混ぜた斬新なサウンドでした。
それは単なるジャンルミックスではなく、陰鬱でリアルで、感情をむき出しにした音。
もちろん、それを最初に編み出したのは彼らではありません。
カート・コバーン自身、**Pixies(ピクシーズ)**の熱狂的ファンであり、彼らの「静と爆発」の構成に大きな影響を受けています。
実際、カートは「自分たちの音楽はピクシーズのパクリみたいなもん」と公言していたほど。
ただ、ニルヴァーナが偉大だったのは、そこに彼らだけの個性を融合させたことです。
オリジナリティの核心──声・言葉・衝動
ニルヴァーナを唯一無二にしているのは、カート・コバーンの存在そのもの。
叫ぶようで泣くようなボーカル。荒々しいのに繊細なギター。
そして、アメリカのマッチョイズムに馴染めない10代・20代の怒りや絶望、女性の感情すら代弁するような歌詞。
商業主義に背を向け、自分の違和感をそのまま音にした彼のスタイルは、時代にこびない“生きた表現”でした。
さらに忘れてはならないのが、ドラマーデイブ・グロールの存在。
彼のパワフルかつタイトなドラムが、カートのエモーションに強烈なドライブを与えていました。
そして今では、デイブ・グロールもまた「最も偉大なロックスターのひとり」として名を連ねる存在に成長しています。
カリスマ・カート・コバーンの苦悩と悲劇の自殺──なぜ彼は自ら命を絶ったのか?
なぜカート・コバーンは、ここまで人を惹きつけるカリスマになったのでしょうか?
答えは単純ではありません。
彼は「新しい音楽を作った」だけの人物ではなく、そのすべてが時代の空気そのものだったのです。
すべてが時代に刺さった──カート・コバーンの魅力
カート・コバーンは、ピクシーズが切り開いた“静と爆発”のスタイルを、
よりキャッチーでポップに昇華させました。
作曲センス。
どこか壊れそうで切ない歌声。
そして飾らないルックスに、ダメージジーンズと古着のカーディガンというグランジファッションの象徴的スタイル。
彼のすべてが、“当時の若者の心そのもの”だったのです。
歌詞は憂鬱で、どこか投げやりで、でも本音。
そして彼自身が“商業的な音楽”や“有名になること”に本気で嫌悪感を持っていたという姿勢も、多くの人を惹きつけた要素でした。
それでも彼は、自ら命を絶った
世界的ヒットを飛ばし、一躍時代の象徴となったカート・コバーン。
しかしその成功こそが、彼を追い詰めていきます。
「マイナーのままでよかった」
「知らない人に囲まれるライブより、目の前の人と繋がっていたかった」
成功と引き換えに、大切にしていた“リアルさ”が失われていく。
その葛藤が、彼の心を深く蝕んでいきました。
カート・コバーンの半生──孤独と痛みのルーツ
カートは、アメリカの田舎町アバディーンで生まれ育ちました。
幼いころは絵や音楽が大好きな明るい少年でしたが、両親の離婚を機に人生が暗転します。
特に父親との関係に深い傷を抱えており、「捨てられた」という感覚がずっと心に残っていたと言われています。
もともと繊細だったカートは、思春期に入る頃には双極性障害のような症状を抱え、
次第にヘロイン中毒へと陥っていきました。
1994年、27歳──“時代を変えた男”は伝説になった
1994年、カート・コバーンはショットガンで自らの頭を撃ち抜き、27歳の若さでこの世を去りました。
あまりにも衝撃的な終わり方に、世界中が凍りつきました。
彼は、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリソンらと並び、「27クラブ」の一員に。
才能と魂を燃やし尽くして、たった27年でロック史に名を刻んだのです。
日本の漫画『BECK』でも、その伝説は描かれています。
有名になりたくなかった男が、世界を変えてしまった
カートは、売れることを望んでいませんでした。
ただ、いい曲を作って、小さなライブハウスで誰かの心を震わせたかっただけ。
でも、時代はそれを許さなかった。
彼の音楽は、時代が求めすぎてしまったのです。
ファッションアイコンとしての影響力も
グランジファッションといえば、穴のあいたジーンズにヨレたカーディガン。
その原点は、間違いなくカート・コバーンでした。
ボロボロなのに、かっこいい。
無頓着に見えて、ちゃんとスタイルがある。
彼のファッションは、今なお世界中で影響を与え続けています。
カート・コバーンは、「売れたくなかったのに、売れてしまった男」。
その苦悩と矛盾が、彼の音楽と生き方に宿っていたからこそ、
今もなお、共感し、憧れ、そして胸が痛くなる存在として生き続けているのかもしれません。
ニルヴァーナの代表曲・名曲をアルバム別に紹介
ここからは、ニルヴァーナの楽曲の中でも特に印象的なナンバーを、各アルバムからピックアップして紹介します。
グランジの激しさ、カート・コバーンの感情、そして彼らの世界観が詰まった名曲ばかりです。
激しいニルヴァーナの曲なら「Breed」ブリード
アルバム『Nevermind』収録のこの曲は、とにかくテンション爆上がりな一曲。
高速テンポに、シンプルで暴力的なリフ。
そしてシャウトするカートの声が最高にアガる!
90年代にバンドマンだった人なら、一度はコピーしたことがあるのでは?というくらい人気の楽曲です。
何も考えずに音に身を任せたいとき、ぜひ。
収録アルバムはこちら
「Lithium」──静と爆発、メロディの美しさが光るミドルナンバー
同じく『Nevermind』から、名曲「Lithium(リチウム)」。
ゆったりしたリフで始まり、じわじわと盛り上がっていく展開。
メロディもとても美しく、激しいだけじゃないニルヴァーナの魅力が詰まった曲です。
“心が落ち着かない夜”に聴くと、不思議と寄り添ってくれるような一曲。
収録アルバムはこちら
「Tourette’s」──わずか1分半、爆裂する衝動
アルバム『In Utero』収録。
カート・コバーンが**トゥレット症候群(発声や動きが抑えられない障害)**について歌ったと言われている短くて激しい曲。
わずか90秒に満たない時間の中に、怒り、焦燥、不安、すべてをぶちまけているような衝撃。
とにかく激しいニルヴァーナが好きなら、これは外せません。
「Rape Me」──真正面から社会と向き合った衝撃作
『In Utero』に収録された、問題作とも言われる「Rape Me」。
タイトルだけ見ると誤解されがちですが、カート本人は「これはアンチレイプソングだ」と明言しています。
“女性をレイプするような人間は、刑務所で同じ目にあうべきだ”という強烈なメッセージを込めた一曲。
イントロのコードカッティングは、あの「Smells Like Teen Spirit」と似た空気感があり、聴く者の緊張感を高めます。
最後に録音されたニルヴァーナの名曲 You Know You’re Right
2002年にようやく世に出た未発表曲「You Know You’re Right」。
これは1994年、カートが亡くなる直前にレコーディングされた、**“最後のニルヴァーナ”**です。
コートニー・ラヴとの法的トラブルなどがあり、リリースまで8年もかかってしまった曲ですが、
それだけに、聴いた瞬間の破壊力がとてつもない。
個人的には、これが一番好きという人も多いはず。
苦しいとき、壊れそうなとき、この曲のメロディや叫びが、心に寄り添ってくれるような気がします。
コートニー・ラヴとの関係が歌われているとも言われており、まさに“最後の叫び”として心に残る一曲です。
他にもまだまだ紹介したい曲は山ほどありますが、
ここに挙げた曲たちは、ニルヴァーナの音楽的振り幅と精神性を感じられる代表的なナンバーばかりです。
知らなかった曲があれば、ぜひ一度聴いてみてください。
きっと何か、感じるものがあるはずです。
カート・コバーンの使用ギターとテクニック、機材について
カート・コバーンといえば、**フェンダーのJaguar(ジャガー)やMustang(マスタング)**を愛用していたことで知られています。
そして彼の存在がきっかけで誕生したのが、フェンダーとの共同開発モデル──Jag-Stang(ジャグスタング)。
JaguarとMustangの中間的な設計を持ち、まさに“カートらしさ”が詰まったギターです。
また、伝説となっているMTV「Unplugged in New York」でカートが演奏したアコースティックギター(1959年製Martin D-18E)は、
なんと約6億円でオークション落札されたというから驚きです。
それだけ、彼の存在が今もなお語り継がれている証とも言えるでしょう。
知っておきたいニルヴァーナの逸話・エピソード
『Nevermind』のジャケットに写った赤ちゃんが訴訟を起こした
ニルヴァーナの代表作『Nevermind』といえば、プールに浮かぶ裸の赤ちゃんが印象的なジャケット。
その赤ちゃん、スペンサー・エルデンは、のちに「無断で自分の裸が世界中に公開された」として訴訟を起こしました。
このジャケットは音楽史に残る名アートとしても有名ですが、その裏側には意外なドラマがあったのです。
■日本ツアーはたった一度だけ
ニルヴァーナは、1992年に一度だけ日本でライブツアーを行っています。
場所と日程は以下の通り:
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2月14日:大阪・国際交流センター
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2月16日:名古屋・クラブクアトロ
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2月17日:川崎・クラブチッタ
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2月19日:東京・中野サンプラザ
たった4公演のみ。この時にライブを観た人は、本当に貴重な体験をしたと言えます。
まさに“伝説に立ち会った”というやつですね。
■カート・コバーンは「少年ナイフ」の大ファンだった
意外かもしれませんが、カート・コバーンは日本のガールズバンド**「少年ナイフ」**の大ファンでした。
特に1985年の1stアルバム『Burning Farm』に衝撃を受け、1989年の彼女たちのアメリカ初ライブにも足を運んでいます。
そして1991年には、ニルヴァーナの全英ツアーで少年ナイフを前座に起用して共にツアーを回るという熱の入れよう。
“本物の音楽”を愛していたカートの姿勢がよく分かるエピソードです。
■映画になったカート・コバーンの人生
カートの人生や最期を描いた映画もいくつか存在しています。
なかでも注目すべき作品は以下の2本:
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『ラストデイズ(Last Days)』
カートが自殺する前の数日間を描いた重く静かな作品。
フィクション要素もありますが、胸が苦しくなるリアルさがあります。 -
『COBAIN モンタージュ・オブ・ヘック(Montage of Heck)』
遺族の協力のもと制作されたドキュメンタリー。
本人の音源、映像、アート作品、そして友人・家族の証言を通じて、彼の“内面”に迫る貴重な1本です。
どちらも、ファンなら一度は観ておきたい作品です。
ちなみに『ラストデイズ』は、観たあとはけっこう気持ちが沈みます。覚悟してどうぞ…。
まとめ:カート・コバーンという存在は、音楽の中で生き続けている
ニルヴァーナは、単なるロックバンドではありませんでした。
商業的な音楽に背を向け、内面の苦悩や怒り、孤独といったリアルな感情を音にぶつけた存在。
その中心にいたカート・コバーンは、まさに90年代という時代の象徴であり、ロックの“魂”そのものでした。
JaguarやJag-Stangに代表される独特なギターサウンド、叫ぶようなボーカル、
そして「売れたくなかったのに、売れてしまった」という矛盾と葛藤。
すべてが彼自身の生き方と音楽に刻まれています。
彼の残した数々の名曲は、いまも多くの人の心を揺さぶり続けています。
たとえ彼がいなくなっても、その声やメッセージは、永遠に生き続けるのです。
ニルヴァーナに出会ったことのある人も、これから知る人も、
ぜひあらためて、彼らの音に耳を傾けてみてください。
そこには、誰にも媚びない“本物の衝動”があります。
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