今回は1990、2000年代のヘヴィロックバンド「マリリン・マンソン」について紹介をします。
マリリン・マンソンは1989年にアメリカのフロリダ州で結成されたロックバンドであり、またそのボーカリストであるブライアン・ヒュー・ワーナーの芸名(ステージネーム)でもあります。
彼らはアメリカで2枚のプラチナアルバムの売上があり190万枚、140万枚となかなかの売上を持っています。
このマリリンマンソンの名前の由来はアメリカの女優「マリリン・モンロー」と連続殺人犯「チャールズ・マンソン」の名前を組み合わせ、自身のアーティスト名としており感性が狂っています(常識的なひとからすれば)。
バンド「マリリンマンソン」の音楽性は、インダストリアル、ヘヴィメタル、グラムロックなどを融合した独特のスタイルで、その過激なパフォーマンスと挑発的な歌詞により、世間からは賛否両論の評価を受けますが、熱狂的なファンも多く若者から支持を受け独特の地位を確立することになりました。
特に見た目が奇抜で、デヴィッド・ボウイ以来の奇妙な数々の格好が印象的なミュージシャンです。
今回は数々のエピソードと交友関係(hide、YOSHIKI、ヴィジュアル系)、代表曲や名曲、名盤の紹介を行います。
マリリンマンソンの特長と数々の問題と逸話
マンソン自身は、過激なパフォーマンスと宗教や政治に対する批判的な立場で知られ、その活動は度々物議を醸しました。
マリリンマンソンは見た目がデヴィッド・ボウイ以来の奇抜さ
マリリンマンソンの特長で音楽性に行く前にやはり見た目が突き抜けている点が挙げられるでしょう。
悪魔や死霊のような格好、宇宙人の女性のようなヴィジュアルなどとにかく奇抜な彼は毎回注目をさらいました。
こちらはホラー映画の死霊系のヴィジュアル
これは宇宙人の女性のような格好です。
聖書を破り捨てるなどの過激なライブパフォーマンス
ライブパフォーマンスもとにかく強烈で、悪魔のような堕天使のような登場。
そして紋章入りの真っ赤なたれ幕と黒焦げの星条旗の前で、ナチスながらに壇上で歌い叫ぶアンチクライシストスーパースターなどが有名です。
またヨーロッパツアーでは豚の血をまくなど過激な行為がありました。
インダストリアルの天才ナインチネイルズのトレント・レズナーをプロデューサーにしたアルバムが大ヒット
2作目のアンチクライスト・スーパースターはナインチネイルズのトレント・レズナーがプロデューサーです。
彼らが人気を決定づけたのはこのアルバムですね。
しかし、後々トレント・レズナーとマンソンは仲違いし、トレント・レズナーに「アイツは売れるためなら何でもする」と批判されます。
狂った父親と祖父から逃れるためにロックを選んだマンソン
マンソンがここまでおかしくなったのは、「変態ポルノを見せつけてくる年上の親戚」や、「服を脱がせて囚人ゲームに興じる隣人」、「ベトナム戦争中に秘密部隊に属し、罪のない一般市民を多数殺害した父親」、「地下に自身の異常なマスターベーション専用の部屋を設けていた祖父」などの現実から逃れるため。
現実逃避としてロックに興じたとのことです。
コロンバイン高校銃乱射事件の犯人がマリリンマンソンを聞いていたとの噂
コロンバイン高校銃乱射事件の犯人がマリリンマンソンを聞いていたとのことで、やり玉にあがったマリリンマンソン。
しかし、その後実際はマリリンマンソンのファンでもなかったのですがそれは報道されずバッシングされっぱなしだったマンソン。
しかし、マイケル・ムーア監督の「ボーリング・フォー・コロンバイン」でそのことについてマンソンは以下のように答えています。
事件の事で俺が糾弾される理由は分かる。俺を犯人に仕立て上げればマスコミに都合が良いから。本当は大統領がホワイトハウスでしたことや他の国を爆撃したことは問題とされない。
事件のその日コソボではアメリカによる空襲をしたくさんの人が死んだのにマスコミはそれを問題とできない。
また「コロンバインを襲撃した犯人の高校生に言いたいことは?」と訊かれて「何もない。ただ黙って彼らの言いたい事を聞く。誰1人としてそれをやらなかった」と語っています。
マリリンマンソンと日本との交友関係 YOSHIKIやhideと友達
マリリンマンソンは実は日本のいくつかのアーティストと交流があります。
マリリン・マンソンはX JAPANのコーチェラ・フェスティバルのライブにて共演をしている
X JAPANが海外進出の中で際立ったニュースといえば、コーチェラ・フェスティバルへの出場だったのですがその中でスペシャルゲストとしてマリリン・マンソンとの共演がありました。
曲は SWEET DREAMのYOSHIKIのピアノの弾き語りでのマンソン歌唱。
その後二人は抱き合っていました。
またCoachella 2018では、リチャード・フォータス(ガンズ・アンド・ローゼズ)、ウェス・ボーランド(Limp Bizkit)とのセッションもありました。
マリリンマンソンはX JAPANのhideのファン、友達だった
無名だった頃からX JAPANのhideのファンだったのがマリリンマンソンです。
ある日hideに直接マリリンマンソンが電話をかけたというエピソードがあります。
hideは変な外国人から電話があったと勘違いしたとのことw
またhideはマリリンマンソンのことを「バカマンソン」と言っています。
初対面の時に握手からマンソンは股間を触らせた
これは書籍に書いていましたが、hideはマンソンと初対面で会った際に握手してからその手をパンツの中に入れたとのこと。
普通の人ならビックリして手を引っ込めますが、hideはそのこすりつけられた手を舐めて「美味いじゃん。ゴキブリよりもな。」って返したそうです。
お互いのジョークが気が合うのか、なんかすごいやり取りですw
hideの海外向けバンドZilch(ヂルチ)を聞いて前座でいいから一緒にライブをさせてくれと言っていた
hideの弟の松本裕士さんによれば、hideの海外向けバンドZilchに対して「前座でいいからライブをさせてくれ」「その代わり全米ツアーをする時は一緒に回ろう」というエピソードがあったとのことです。
hideは残念ながら1998年に亡くなっていましたが生きていたらきっと世界に届く音楽をしていたのかと想像します!
サマソニの前身的イベント「beautiful monsters tour」では共演予定だった
hideとマンソンは「beautiful monsters tour」で共演予定でしたが、hideが亡くなったため共演は果たせませんでした。
このイベントに参加したのはBUCK-TICK、PIERROTなど。
BUCK-TICKに関しては、2003年のツアーサポートを果たしています。
最初仲良くなった経緯が想像がつきにくいのですが、hideはミニストリーなどのインダストリアル音楽に詳しいこともあったのと、見た目も奇抜かつオシャレで当時先進的なことも影響しているのかと想像します。
YOSHIKIとマリリンマンソンの交友関係
hideとの繋がりか、ロスでのYOSHIKIの繋がりかマンソンとヨシキはSNSで交友関係があることを書いています。
マンソンいわくYOSHIKIは「彼は俺の親友」「楽曲を一緒に制作している」とのこと。
X JAPANの映画「We are X」でも一緒に作品を作っていることが2018年に言われましたが、その後作品はお蔵入りになっているのですかね…
マリリンマンソンの代表曲、アルバム、名曲、名盤
マリリンマンソンと言えば、この曲という名曲や代表曲を紹介します!
2.7億回再生の「Beatiful People」ビューティフルピープル
ライブでの定番曲、そして一番盛り上がる曲と言えばこのビューティフルピープル。
ハネのリズムと悪魔的な感じがクセになるこのナンバー、ロックアンセムといっても間違いないでしょう。
1996年にリリースされたアルバム「アンチクライスト・スーパースター」は、その攻撃的なサウンドと社会批判的な歌詞で、マリリン・マンソンの名を世界中に広めました。このアルバムは、全米アルバムチャートで最高3位を記録し、彼らの代表作となりました。
ライブの定番曲 Irresponsible Hate Anthem
サビで fxxkと連発するかっこいいライブの定番曲。
アンチクライスト・スーパースターの一曲目ですね。次がビューティフルピープルなのですごい組み合わせですね。
ラルク L’Arc~en~Ciel にもカバーされたナンバー
ラルクのhydeはマリリン・マンソンが好きで何曲かカバーしています。
動画はこちら。
侵食あたりはここらへんの影響かな?と想像してしまいます。
ユーリズミックスのSweet Dream
ファーストアルバムのスメルズ・ライク・チルドレンに収録されたナンバー。
なんとビューティフルピープル超えの2.9億回再生です。
マトリックスの主題歌 ROCK is Dead
一番有名なナンバーがこちら。MVが公式で使えないのは何かに引っかかったのかな?と推測。
マリリンマンソンまとめ
いかがでしたでしょうか?
マリリンマンソンについて記事を書いていましたがいかがでしたでしょうか?
引き続きこの記事を更新していきますのでよろしくおねがいします。